近年の新型コロナウイルスの影響により、KAM(Key Audit Matters)が注目されています。今回はKAMについての概要説明と、企業にとってこの先考えられるリスクやメリット・デメリットなど、具体事例を交えながら解説していきます。
1.KAMとは何か
KAMとはKey Audit Mattersの略であり、日本語に翻訳すると「監査上の主要な検討事項」のことです。KAMを導入すると、会計監査人が監査を行うにあたり特に重要と考えた事項を監査報告書に記載することとなります。
会計監査人の監査報告書は、財務諸表が適正である旨の意見である無限定適正意見であれば、企業によって大きく異なることがないのが通常でした。KAMが導入されることにより、監査報告書の記述内容に影響があるため、投資家をはじめとする利害関係者からの注目も高まっています
KAMが導入された背景
もともと2012年の英国における監査報告書の記載事項の見直しを皮切りとして、海外では同様の制度が先行して導入されていましたが、わが国においては2015年に発覚した東芝の粉飾決算をきっかけに、金融庁が会計監査の在り方に関する懇談会を設置し、2016年3月8日に提言が公表されました。
(参考)金融庁:会計監査の在り方に関する懇談会」提言の公表について
金融庁からの提言を受け、2016年9月より、日本経済団体連合会、日本監査役協会、日本証券アナリスト協会、金融庁、日本公認会計士協会による意見交換が開始されました。検討の結果が、2017年6月28日に公表された「監査報告書の透明化について」という文書です。
(参考)金融庁:「監査報告書の透明化」について
以上の経緯から2017年10月の企業会計審議会監査部会より、KAM導入について本格的に議論が開始され、2018年7月5日に「監査基準の改訂に関する意見書」が公表されています。
(参考)金融庁:「監査基準の改訂に関する意見書」の公表について
KAMを決定するプロセス
KAM(監査上の主要な検討事項)を決定するプロセスは以下のとおりです。
- 監査上の論点を洗い出す
- 監査の過程で監査役等と協議した事項に絞る
- さらに上記の中でも「特に注意を払った事項」を選択
- 監査上の主要な検討事項を特定する
監査人はKAMを決定するプロセスの中で、下記の点に考慮する必要があります。
- 特別な検討を必要とするリスクが識別された事項、または重要な虚偽表示のリスクが高いと評価された事項
- 見積りの不確実性が高いと識別された事項を含め、経営者の重要な判断を伴う事項に対する監査人の判断の程度
- 当年度において発生した重要な事象または取引が監査に与える影響
KAMは、会社のビジネスモデル、グループ構造、市場や競合の状況、マクロ経済の状況により常に変化するものであり、会社によってその内容は大きく異なってきます。また、KAMに挙げられた論点数は、経営上のリスクの大きさや課題の多さを必ずしも意味するものではなく、数が多いこと=悪ではないことに留意が必要です。
監査報告書におけるKAMの記載
KAMは監査報告書において、区分を設けて下記の点を記載するように求められています。
- 監査上の主要な検討事項の内容
- 監査人が監査上の主要な検討事項であると決定した理由
- 監査における監査人の対応
上記の点に関連する財務諸表上の開示がある場合は、参照を付して何の開示情報と紐づいているかを表記します。一方、KAMに該当し、その内容が企業の未公表情報に触れなければならない場合には次の対応が求められます。
監査人の立場としては、企業との守秘義務がある関係で、まずは原則として、「経営者に追加の情報開示を促す」、「必要に応じて監査役等と協議する」といった対応をします。
それでも、追加の情報開示がなされず、かつ、重要性が高いと考えられる場合は、KAMとして未公表情報を監査報告書に記載することが求められています。このような場合に限り、監査基準に照らして、企業と監査法人との守秘義務が解除される正当な理由に該当すると解されています。
KAMの適用時期
KAMは金融商品取引法上の監査において、2021年3月期より適用されます。2020年3月期からの早期適用も可能となっています。
ただし、金融商品取引法上の監査でも、未上場企業のうち資本金5億円未満、または売上高10億円未満かつ負債総額200億円未満の企業は適用対象外です。
2.損失リスクを積極的に開示しているトレンド
前章ではKAMの概要について解説してきましたが、今章はKAMに関する実務上のトレンドを具体的な事例とともに確認していきます。
KAMの早期適用について
2021年3月期から正式な適用が始まりますが、上述のとおり2020年3月期から早期適用することもできるため、2020年7月10日までに有価証券報告書においてKAMの記載があった企業はすでに46社 あります。
早期適用した主な企業は、ソニー、富士通、トヨタ自動車、本田技研工業、AOKIホールディングス、三菱UFJフィナンシャル・グループ、野村ホールディングス、三井不動産、ソフトバンク、武田薬品、東急、住友商事などが挙げられます。
KAM事例① 三菱UFJフィナンシャル・グループ
三菱UFJフィナンシャル・グループの監査法人である有限責任監査法人トーマツは、2020年3月期連結決算において、以下の2点をKAM としました。
(1)貸出業務における貸倒引当金の算定
(2)買収・出資に伴うのれん及びその他の無形固定資産の評価
(1)貸出業務における貸倒引当金の算定の詳細
三菱 UFJフィナンシャル・グループの貸倒引当金残高は2020年3月末時点で7,406億円あります。貸倒引当金において、特に注目すべき点は下記の記載内容です。
「新型コロナウイルス感染症の拡大に対する貸倒引当金の計上額(以下、「追加引当額」という。)は、貸出先企業への当該感染症拡大が及ぼす影響を考慮し、貸出先の財務情報等に未だ反映されていない信用リスクの増大を見積ることにより算定されている。」
新型コロナウイルスに関する引当金については、見積の不確実性や経営者の主観によるところが大きく、計算にずれが生じやすいため、監査上の主要な検討事項としているのです。
また、三菱UFJフィナンシャル・グループは、新型コロナウイルスによる貸倒引当金の増額分を453億円計上している旨を、有価証券報告書上、追加情報に記載しています。KAM導入に伴い、積極的な開示姿勢を見せている企業の一つと言えそうです。
KAM事例② ソフトバンク
ソフトバンク(ソフトバンクグループではなく、携帯電話事業のソフトバンクです)の監査法人である有限責任監査法人トーマツは、2021年3月期連結決算において、以下の5点をKAM としました。
(1)通信サービス契約におけるIFRS第15号「顧客との契約から生じる収益」の適用上の重要な判断及び見積り及び収益計上の前提となるITシステムの信頼性
①通信サービス契約におけるIFRS第15号の適用上の重要な判断及び見積り
②収益計上の前提となるITシステムの信頼性
(2)重要な組織再編及び企業結合
①Zホールディングス㈱の子会社化の会計方針の決定及び遡及修正再表示及び開示の正確性
②㈱ZOZO株式取得に関連した取得対価配分(PPA)の適切性と認識された無形資産の評価
③㈱ZOZO取得により認識したのれんの評価
損失リスク開示に繋がるのは主に(2)③のZOZOののれん評価についてです。ソフトバンクはZOZO買収に伴い、2,728億円ののれんを計上していますが、金額的重要性がある旨の説明がなされています。
KAM事例③ トヨタ自動車
トヨタ自動車の監査法人であるPwCあらた有限責任監査法人は、2021年連結決算 において、以下の2点をKAMとしました。
(1)製品のリコール等の市場処置にかかる債務
(2)小売債権に対する金融損失引当金
製品のリコールなどに関する債務、自動車ローンに対する引当金など、自動車業界特有の論点がKAMとして開示されていることが分かります。リコールや貸倒は将来の発生する可能性は合理的に見積もることしかできず、不確実性の高い話です。そのため、経営者の見積もりが大きく誤ることがあれば、より大きな損失計上される可能性があります。
KAM事例のまとめ
以上、KAMの早期適用事例として、三菱UFJフィナンシャル・グループ、ソフトバンク、トヨタの3社を見てきました。
新型コロナウイルスの影響、買収によるのれんの評価、貸倒引当金の見積もり計上、固定資産の減損リスク、繰延税金資産の回収可能性リスク、製品のリコール等にかかる債務、内部統制に関するリスクなど、企業によってKAMの記載内容が大きく異なることが分かります。また、傾向としては、見積計算など不確実性の高い論点は、見積計算が誤ることで財務諸表に大きな影響を及ぼすことから、KAMに記載されることが多いようです。
以前は、監査報告書はどの企業も同じことが書いてあることが多く、あまり投資家がじっくり読むということはなかったかもしれません。しかし、KAM導入に伴い、重要情報が端的に記載されるようになったので、投資家から見ると監査報告書の情報価値が向上していると言えます。
3.KAMの本格的開始に伴う企業のメリット・デメリット
KAMにより、新型コロナウイルスの影響など損失リスクを積極的に開示する傾向にありますが、開示を行う対象である企業にとってのメリット・デメリットを解説していきます。
KAMの開始に伴う企業のメリット3つと、デメリットを現時点で見極めることは難しいところがありますが、現時点では以下のような見解があるようです
KAMによるメリット① 損失を隠そうとする力が弱まる
企業は株主の期待に応えるため、なるべく良い業績を開示したいと考えるのは通常のことです。KAMになりやすい損失リスクが大きい項目については、未公表の情報であったとしても、公表するように監査法人から求められることがあります。
この流れにより、リスクが顕在化する前からリスクとして周知のこととなり事柄が増えるため、リスクが顕在化した場合でも、以前よりも損失を隠そうとする力が弱まることが考えられます。コロナの影響はすでに既知のものとなっており、他の企業も積極的に損失リスクを開示することで、ネガティブな情報であっても開示しやすいトレンドになりやすいと思われます。
内部統制上も管理会計の観点からも、損失リスクを早く正しく認識するよう組織の意識が変わることで、大きなメリットがあると言えます。
KAMによるメリット② 損失額を定量的に把握する文化となる
新型コロナウイルスがいつ終焉するかは誰にも分かりません。損失額についても一定の仮定をもって計算しなければならず、財務部や経営企画部が担当することになるでしょう。
KAMは2021年3月期より、上場会社であれば全ての企業が対象となります。今まで損失リスクを定量的に把握してこなかった企業についても、より定量的に経営分析することが求められるようになります。組織全体として経営の能力アップが期待されます。
KAMによるメリット③ 監査の透明化
KAMの導入により、監査上の主要な検討事項が何かという点を監査法人と経営陣が話し合うこととなります。企業にとっても何が重要論点か分かっている中で、監査対応を行えばよいため、監査への協力がしやすくなるという点がメリットに挙げられます。
重要性の高い論点があらかじめ分かっていれば、必要な資料の準備や見積もり計算、影響額の計算など事前の準備を綿密に行うことが可能です。
KAMによるデメリット① 監査費用の増加
日本経済新聞社 による主要100社の2020年3月期監査費用は、1,365億円と前年と比べて5%増でした。
今後も監査費用の増加傾向は続くと見られており、その原因の一つがKAMの導入です。KAMが導入されることで、監査時間が増加しその分監査費用も増加してしまいます。特に、減損の兆候などどこまで開示するべきかについて、経営陣とのすり合わせに時間を要するものと予想されている状況です。
KAMによるデメリット② 監査の保守的傾向の強化
従来、監査法人の手の内とされてきたリスク評価やそれに対する監査アプローチについて、監査法人が対外的に明らかにしていくことになります。
手の内が明らかとなり、判断の過程を第三者の目にさらされることになれば、監査法人の判断は従来以上に、また、必要以上に保守的になる可能性があります。
KAMによるデメリット③ 情報開示すべきラインの判断が難しい
本来であれば開示してこなかった情報を、KAMの導入によって開示すべき情報となってしまう可能性があります。企業のIR戦略上、どのような情報を出すべきかについては重要テーマの一つです。
KAMによってIRにも影響を及ぼしますので、以前よりもさらにIR体制の強化が必要となります。情報をどの程度開示するべきかについては再考が求められ、判断のラインがあいまいで経営陣としては難しいかじ取りをしなければならない点はデメリットと言えるでしょう。
4.KAMによる投資家への影響
KAMは、有価証券報告書を利用する側である投資家にも影響を及ぼすことが考えられます。主な影響は2点ありますので、それぞれ詳細に解説していきます。
有価証券報告書の読み方への影響
今までは有価証券報告書の中にある監査報告書は、時間をかけて見るものではなかったかもしれません。しかし、KAMの導入が始まってからは、監査報告書において監査上の主要な検討事項だけを見ることで、この企業に投資することの主要なリスクを頭に入れることができます。
もちろん、今までも有価証券報告書の中の「事業等のリスク」の中で、リスク情報は開示されてきました。「事業等のリスク」とKAMが違うのは、重要論点だけを扱っている点と企業でなく第三者である監査法人が述べている点です。
投資家の目線からは、最初に監査法人が何を主要な検討事項としているのかを確認することで、大きなリスク事項を把握できるため、有価証券報告書を読む効率が上がります。有価証券報告書を読む際は、まずは監査報告書のKAMの項から、といった読み方をする投資家が増えるかもしれません。
企業の開示姿勢に対する見方
KAMにより各企業は損失リスクを積極的に開示するトレンドとなっていることはすでに述べてきたとおりです。将来的にKAMが正式スタートする際は、数多くの企業が損失リスクを積極的に開示するようになります。
投資家の立場からすると、損失リスクを開示する企業が増えてくると、開示していない企業に対しては厳しい見方をするかもしれません。また、監査報告書に記載するKAMの内容が薄いと、監査法人自体にもきちんと厳しい目で監査をしているのかと考えるかもしれません。
投資家は、KAMの導入により、今後ますます企業の開示姿勢に注目することが予想されます。
5.まとめ
今回はKAM(Key Audit Matters)について基本的な概要から、実際の監査報告書におけるKAMの記載内容、KAM導入に伴う企業のメリット・デメリットなどを解説してきました。
特に2020年はコロナウイルスの影響が世界各国に甚大な影響を与えており、今後、KAMが正式に導入される際は、多くの企業がコロナウイルス関連の情報開示をするものと想定されます。
企業にとっては監査法人とコミュニケーションを取る時間が増え、監査法人の増加も予想されます。一方で、KAMの対応から、リスク管理体制が整備され、リスク金額を定量的に見積もる体制や方法を身に付けることができるなど、経営管理体制の強化面でメリットを享受できる可能性があります。
投資家にとっても今まであまり見てこなかった監査報告書に重要な情報が要約されて記載されているため、企業のリスクを素早く認識するためにはKAMはありがたい制度と言えるでしょう。
KAMによって日本企業の経営がより強化され、多くの企業が損失リスクを早めに開示するようになるなど、日本の資本市場がこれまで以上に発展するものと考えられます。
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